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連載コラム 鈴木貴博氏コラム「ビジネスを考える目」

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 その衝撃を僕に与えた張本人は、当時一緒にネットベンチャーで働いていたある若者である。ある日、彼が昼休みに東京・原宿のミュージックストアで、お気に入りアーティストの音楽CDを買ってきた。

 「あっ、これ買ったんだ」
 「ええ、欲しかったんです」

 そんな会話を交わした後、早速、彼はパソコンに買ってきた音楽CDをインストールして聞き始めた。しばらくしてから、ふと彼の方を見ると、ジャケットと音楽CDのケースをゴミ箱に捨てる様子が目に入った。

 その様子を見て、「ああ、君も音楽CDケースを捨てるんだ」と、なんだか“共感”のようなものを感じて話しかけた僕に対して、彼は信じられないような返事を戻してきた。「いや、CDケースだけじゃなくて、全部捨てるんです」。

 実際にゴミ箱の中を見せてもらうと、昼休みに買ってきた音楽CDがそのまま捨ててある。「もうiPodにインストールしちゃったので、オリジナルはいらないんですよ」というのが彼の説明だった。彼の考え方は、僕の古い“クール”な考え方よりも、よほど進んでいる。それはこういうことだ。

 彼がお金を出して買っているのは、あくまで音楽コンテンツであって、ジャケットやCDケースではない。だから、ジャケットやCDケースはいらない(不要である)──。ここまでは僕の考え方と同じだ。

 ところが彼の場合、オリジナルのCD本体でさえも、あくまで“中間媒体”に過ぎない。アーティストがスタジオで録音した作品が、編集の手を経て、音楽CDの形で彼に届いただけだ。それをパソコンにインストールした段階で、オリジナルのCD本体の役割は終わる。

 役割が終わった音楽CD本体は、持っていても場所をとるだけである。それに、保管しておいたとしても、何百枚も買う音楽CDなのだから、数が多すぎて欲しい音楽CDがどこにあるのか検索するのも手間がかかる。

 パソコンに圧縮して格納しておけば、またその音楽CDが欲しくなったらCD-Rに“焼直せば”復元できる。そういうと、「一度圧縮してしまったら、オリジナルの音質には戻らないよ」と思う方もいると思う。僕もそう思ったのだが、「圧縮した音楽とオリジナルの音楽の違いは、人間の耳には区別できないでしょ」というのが彼の考え方である。

 だとしても、だ。オリジナルの音楽CDを捨てたりしないで、僕にくれればいいじゃない……。そんな風に思うのだが、「それは違法コピーと変わらないですよ」という返事になる。

 誰かの手に渡ると、その分、その誰かが買うかもしれなかった本来の音楽CDが売れなくなるかもしれない。それではアーティストに迷惑がかかる。だから彼自身の手できちんと捨てることが彼にとっては大切なのである。

 この彼の考え方は、知的所有権の考え方としてはきわめて正しい。

 我々が音楽CDを買ったり、書籍を購入したりする場合、決してアーティストや著者から著作権を買っているわけではない。音楽CDや書籍という形になったコンテンツを利用する(聞いたり、読んだりする)権利を、お金を出して購入しているだけなのである。だから、買った音楽CDをコピーして販売したり、書籍の一部をコピーして配ったりする権利は、著作権者等の許可を得ない限り、購入した我々の側にはないのだ。

 読んでしまった書籍を古本屋に売るのは、これまでの歴史的な経緯の中で許容されてきた(詳細な背景があり、とても一言では説明できないので、申し訳ないがここでは割愛したい)。

 しかし、音楽CDに入っている音楽をiPodにインストールしたまま、オリジナルの音楽CDをいわゆる「中古屋」に転売する場合は、本来の知的所有権の考え方からすると許容されるべきではない行為と考えられる(iPodからその音楽をすべて削除し、復元できないようにした上で音楽CDを「中古屋」に転売するのは、知的所有権の考え方からすると許容されてもいいだろう)。

 僕と一緒に働いていた若者は、彼自身がアマチュアの音楽アーティストだったこともあって、彼自身の中でそのような“規律”が、彼のルールとして機能していたのだ。そのうえで、僕よりも進んだ考え方で、「オリジナルの音楽CDは場所を取るだけで、ただ面倒なものだ」というところまで考えが進んでいたのである。

 彼の考え方は、かなり未来を先取りした考え方だと思う。しかし実は、世の中の“仕組み”としては大きな問題を抱えている。彼のパソコンに入っている音楽CDが、本当に彼自身が自分のお金を出して購入したものかどうかを証明する証拠が存在していないのだ。

 なぜなら、彼が買ったというオリジナルであるところの音楽CDは、すべてゴミ箱に捨てられてしまったのだから、彼のパソコンに入っている音楽ファイルが元々、彼のものだったのか、例えばWinny(ウィニー)経由で不正に入手したものかを証明する手立てはない。

 まあ、彼がもし将来そんなことで著作権者に告発でもされ捕まったりしたら──そんなこともないとは思うが──僕が昔の職場仲間として証言して、彼を守ってやってもいいが、ここで言いたいのはそのような個別の話ではない。

 現時点での“仕組み”では、オリジナルの音楽CDを捨ててしまうと、正当なはずの購入者の正当な利用権を証明するものがなくなってしまう危険性がかなり高いということだ。

 その一方で、最近の生活シーンでは、オリジナルの音楽CDを使うシーンは、少なくとも僕の場合はほとんどない。買ってきた音楽CDはパソコンに取り込んで、そこからiPodに移す。その後でカーステレオのハードディスクにも取り込んでおく。

 もっぱら聞くのはiPodやカーステレオ、それからスピーカーにつながっているデスクトップパソコンだ。CDラジカセや、いわゆるCD/MDコンポなどは、僕の生活の中ではほとんど使わなくなってしまった。

レコード→CD→HD→ユーザー登録

 そう考えると、今後は音楽CDについても、パソコンソフト同様にユーザー登録をする方向で考えていくのもいいのではないかと思ってしまう。いずれ音楽ファイルの課金の仕組みについては、今の音楽CDを主体に考える時代が終わり、新しいメディア、新しい課金の仕組みが登場することになると思う。その際、なんとなくだが僕が気になるのは、ひとつのハードウエアに対して、ひとつのライセンスという形にならなければいいということだ。

 なぜか? 好きな音楽は“ユビキタス環境”で聴きたいからだ。歩いているときも、自動車の中でも、書斎でも、リビングルームでも、自由に聴きたい。

 音楽CDの場合はそれができるのだが、もしパソコンにダウンロードして1ライセンス、携帯にダウンロードして2ライセンス、カーオーディオにダウンロードして3ライセンスなどという形になってしまうと、利用者としては不便このうえない未来になってしまう。

 だからそうならないように、僕が好きな音楽を買うときは、僕自身に1ライセンスが許諾されるようになってほしい。いつの未来からそうなるのか今の段階では分からないが、ぜひそうなってほしいと僕は願っているのである。



百年コンサルティング 代表取締役。
東京大学工学部物理工学科卒。
1986年に世界的な戦略コンサルティングファームであるボストンコンサルティンググループに入社。
ハイテク領域の大企業に対するコンサルティングを数多く手がける。
1999年にインターネットベンチャー企業のネットイヤーグループの取締役SIPS事業部長に転身。
2003年に独立し、百年コンサルティングを創業。企業の寿命30年の壁を越えるための成長戦略支援を行っている。
近著は、『アマゾンのロングテールは、二度笑う』(講談社)。



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