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BITS2005

2005年6月7日(火)、8日(水)の二日間にわたって日本ユニシスが主催するIT経営戦略のイベント「BITS(Business & IT Strategy)2005」が東京で開催された。
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Case20-サッポロビール
原料生産者とメーカーが二人三脚で作る栽培情報管理システム
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経営者・マネジメント層のための情報セキュリティ対策集中講座
第3回●セキュアなシステムの構築
 
鈴木貴博の“ビジネス散歩”
鈴木貴博
―連載コラム
第64回(最終回)●負け組の栄光
 
未来に向けた人・組織の新成長モデル
高橋 透
―連載コラム
第5回●小さな挑戦を繰り返して起死回生を果たした「旭山動物園」
 
村井勝のビジネス対談
スピンオフで飛躍する気鋭企業

村井 勝
―連載コラム
第15回(最終回)●生来の「起業家マインド」を渡米で研鑽(さん)
ナノテクとバイオを融合したモデルで市場開拓
 
人とビジネスとITと
高橋 透
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内山悟志
―連載コラム
 
ズバリ回答!内山悟志のIT経営教室
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―連載コラム
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筆者
PROFILE
鈴木 貴博
(すずき・たかひろ)
鈴木 貴博 氏

百年コンサルティング 代表取締役。東京大学工学部物理工学科卒。1986年に世界的な戦略コンサルティングファームであるボストンコンサルティンググループに入社。ハイテク領域の大企業に対するコンサルティングを数多く手がける。1999年にインターネットベンチャー企業のネットイヤーグループの取締役SIPS事業部長に転身。2003年に独立し、百年コンサルティングを創業。企業の寿命30年の壁を越えるための成長戦略支援を行っている。

第55回
吉野家の「あの味」を探し求めて

 2月のコラムに「華氏211度は牛丼を食べる自由が燃える温度だ」(第42回「野菜嫌い」というニッチマーケット」)と書いた。2004年2月11日は日本全国の吉野家の店頭から牛丼が消えた日である。米国で発覚したBSE感染牛の余波で、現在でも米国牛は輸入が禁止されたままである。

 その後、松屋、すき家、らんぷ亭といった多くの牛丼チェーンが中国産牛肉、豪州産牛肉などを工夫して牛丼メニューを復活させてきた。しかし“牛丼の本家”とも言える吉野家ではいまだに牛丼はメニューに復活できていない。吉野家の牛丼は、米国産牛肉の「ショートプレート」という部位の牛肉を用いることであの味を実現している。他の牛肉、他の部位では難しいのだ。

 実際、他社の牛丼メニューを食べ比べてみても、個人の主観かもしれないが以前の牛丼のおいしさは感じられない。時がたつにつれ、徐々に昔の味も忘れてしまうのだろう――。

 そう思っていたところに思いもかけず今年の2月11日、一日だけ吉野家の牛丼が復活した。この日、僕は2度、吉野家で牛丼を食べたのだが、まるで「禁断の果実」を食べてしまったような感覚が体の中に入ってきてしまった。この日から他社の牛丼を食べたいと思わなくなってしまったのだ。

 華氏211度は摂氏で言うと99度。あとちょっとで沸騰する温度なのだが、2月11日以後、世の中は牛丼についてあまり沸騰した感じにはならなかった。が、僕に限って言うと、この日を境に、吉野家の牛丼を求めて体中の血が沸き立ってしまった。3月に入っても、あの「吉野家の牛丼が食べたい!」という気持ちは募るばかり。ここから、僕の吉野家の牛丼を探す旅が始まったのである。

吉野家発祥の地へ

 実は、吉野家の店舗の中には、牛丼を売ってくれる店がいくつかか存在する。その多くは競馬場の中にある。詳しい背景は知らないが、競馬場の中にある吉野家は、契約で牛丼以外のメニューを出すことが禁止されており、変更も難しいらしい。そのため、今でも国産牛を用いた牛丼を売っている。牛丼の価格は国産材料の価格が高いことを反映して少々高めになる。が、それでも牛丼が食べたければ、例えば新宿駅から府中の競馬場まで片道45分の時間をかければ吉野家の牛丼にありつけるのだ。

 ただ、牛丼を食べたついでにちょっと競馬もということになると、出費は牛丼一杯の代金だけでは済まなくなるかもしれない。そういう意味では、「競馬場内の牛丼はちょっと……」という方も多いかもしれない。その場合、都心にもう一店舗、牛丼を供する吉野家がある。築地場外にある吉野家築地店がその店舗である。

 吉野家の店舗に出かけると、よく日本橋の魚市場のレリーフが店舗に飾ってある。吉野家の発祥というのはそのとおり、魚市場に出した牛丼屋からスタートしているのだ。魚市場が築地に移転してからも、吉野家築地店は吉野家第一号店を自認している。そのため吉野家の意地をかけて、一店舗だけ今でも牛丼を販売している。価格はもちろん500円である。

 余談だが、築地市場というのは「牛丼激戦区」とも呼ばれ、吉野家以外にも歴史のある牛丼屋がたくさん存在している。例えば、有名どころでは築地交差点角の近くにある「大森」。ここでは牛丼とカレーライスを両方食べる「合がけ」の元祖としても有名だ。

 吉野家築地店で注意しなければならいのは、24時間営業ではないという点。市場のにぎわいが終わる13時になると、吉野家も閉店する。もしサラリーマンが牛丼を食べたいと思ったら、少々早めの昼食をとることにして築地に向かう必要がある。また、築地市場は月何回か不定期に休業することがある。水曜日が休業日になることが多いようだが、市場の休業日は吉野家も閉店している。

 さて、その牛丼の味だが、残念ながらかなり似てはいるものの、「ほぼ」満足の味といったところである。惜しいところで、僕らが食べてきた吉野家の牛丼の味とは少々異なる。おそらく国産牛を使っているためにどうしても米国産牛ショートプレートの味は出せないのだろう。僕の場合、閉店間際の昼ごろに出かけることが多いので、牛丼のつゆもやや煮詰まっている感じがするし、牛のバラ肉も米国産のものよりもやや崩れていたり硬くなっている感じは否めない。これも2月11日に食べたあの吉野家の牛丼の味からはまだ遠いのである……

 ではどこに行けば、あの味が食べられるのであろうか。そう考えていた矢先、海外出張先で運転していたレンタカーの窓越しに、吉野家のオレンジの看板が目に入ってきた。米国シリコンバレーのエル・カミーノ・リアルという幹線道路沿いの光景である。

米国の吉野家「ビーフ・ボウル」に落胆

 吉野家の海外展開は歴史は古い。かつては吉野家の店頭によく「吉野家デンバー店」という写真が飾られていたものだ。現在でも米国の西海岸にはたくさんの吉野家がある。出張の度に目にするのだが、シリコンバレーだけでなくサンディエゴでも吉野家の店舗を見つけた。特に店舗の数が多いのはロサンゼルスで、市内を運転していると何カ所もの吉野家の店舗を目にすることになる。

 米国の吉野家なら米国牛が食べられるのではないか。そう思い、僕は車を停めてシリコンバレーの吉野家の扉をくぐった。米国の吉野家では牛丼以外のメニューもたくさん扱っている。照り焼き丼のような鳥メニューや、エビのてんぷら丼もある。かと思うとコーラやオレンジドリンクやデザートのプリンがついたセットメニューなどもある。少々、日本の吉野家とは勝手が違う。

 とるものもとりあえず「ビーフ・ボウル」を注文する。出された牛丼を口にするのだが、あの牛丼の味がするのはつゆの部分だけ。肉は米国牛にもかかわらず、あの吉野家の牛丼の味ではない。

 米国の吉野家は、米国人の嗜好に合わせてかショートプレートを使っておらず、いわゆる赤身の部分の牛肉を牛丼の具として使っている。確かに米国社会では肥満が社会問題になっている。自分の体重を支えきれずに膝を痛めてしまう中年男性がたくさんいるようなお国柄である。

 「スシ」に代表される日本食はヘルシーフーズの代名詞でもある。そんな状況の下で、脂身たっぷりの牛丼というのは、米国ではあまり流行らないというのは理解できる気はする。しかし、牛丼のあの味を求めている僕にとっては、米国の牛丼もやはり違う牛丼ということで、少々落胆してしまったのである。

 こうして2月11日に渋谷で食べた味を求めて、他の牛丼チェーン、築地の吉野家、シリコンバレーの吉野家と旅を続けてきたが、もはやあの味にはたどり着けないように思えていた。ところが思いがけないところで、再びあの味に出会うことができた。それは東洋の新しい中心地。高層ビルが数限りなくそそり立ち、2000万人の人口がエネルギッシュに行きかう街。そう、上海である。

ついに上海で再会した「あの味」

 先日、上海に出張したときに、移動するタクシーの窓から吉野家のオレンジの看板が目に入ってきた。一店舗だけではない、いくつかの街角にオレンジの看板が見える。例えば、上海最大の繁華街である南京東路の雑踏の中にも吉野家がある。日本人が多く宿泊する上海オークラガーデンホテルから歩いて1ブロック、高級ブティックが立ち並ぶ繁華街にも吉野家がある。

 「さっそく入ってみた!」

 と書きたいところだが、今回の上海出張は朝から晩までぎっしりスケジュールが詰まっている。気持ちは焦るのに、なかなか吉野家まで足を伸ばせない。2日目の夜、同行していた取材スタッフが「鈴木さん、吉野家行ってきましたよ。日本のまんまの味ですよ」とわざわざ興奮気味に教えてくれたものだから、否が応でも気持ちはたかぶるばかりだ。

 上海に到着して4日目。ようやく夜に空き時間ができた。仕事を片づけると、急ぎ足でオークラガーデンホテルを出て吉野家に向かう。僕はまだ北京語ができないので、メニューの絵から牛丼の並を指差して注文する。12元、日本円にして250円くらいの値段だ。

 レジで注文するとすぐに奥の厨房で牛丼を出してくれた。見れば、かつてよく食べたままのあの牛丼だ。あわてて一口ほおばる。口の中に広がった味は、世界中で探し求めてきたあのかつての吉野家の牛丼の味そのもの。あったのである、あの味がまだ。こうして異国情緒あふれる上海の街明かりの下で、僕はついに吉野家の牛丼の味にありついたのだった。

 我ながら長い旅だったと思う。しかし、いまや僕の中では一つの発見が形になった。吉野家の牛丼がどうしても食べたくなったら上海に行こう。これが今回の結論である。

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