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BITS2005

2005年6月7日(火)、8日(水)の二日間にわたって日本ユニシスが主催するIT経営戦略のイベント「BITS(Business & IT Strategy)2005」が東京で開催された。
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Case20-サッポロビール
原料生産者とメーカーが二人三脚で作る栽培情報管理システム
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経営者・マネジメント層のための情報セキュリティ対策集中講座
第3回●セキュアなシステムの構築
 
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第64回(最終回)●負け組の栄光
 
未来に向けた人・組織の新成長モデル
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―連載コラム
第5回●小さな挑戦を繰り返して起死回生を果たした「旭山動物園」
 
村井勝のビジネス対談
スピンオフで飛躍する気鋭企業

村井 勝
―連載コラム
第15回(最終回)●生来の「起業家マインド」を渡米で研鑽(さん)
ナノテクとバイオを融合したモデルで市場開拓
 
人とビジネスとITと
高橋 透
―連載コラム
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内山悟志
―連載コラム
 
ズバリ回答!内山悟志のIT経営教室
内山悟志
―連載コラム
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日本ユニシス unisys
筆者
PROFILE
村井 勝
(むらい・まさる)

リーディング・イノベーション 取締役。関西学院大学商学部卒業、カリフォルニア大学(UCLA)経営大学院(MBA)修了。1962年米国IBM入社。日本IBM転籍後、わが国初のオンラインバンキング端末製作、システム構築に携わる。1991年、情報通信統括本部長を経て日本IBMを退社。コンパック日本法人の代表取締役社長に就任。同社会長、外資系情報産業研究会会長、在日米国商工会議所理事を経て、1998年同社退社、General Atlantic Partners特別顧問就任。現在、株式会社デジタルデザイン、ネットラーニング会長なども勤める。2003年8月現職に就任。


このページの内容

第7回
「スタメンになりたい!」
自己実現できる場を探す

弥生
代表取締役社長
平松庚三氏
×
村井 勝

●経理や会計に直接かかわらないビジネスパーソンでも、会計ソフト「弥生会計」の名を聞いたことがある人は多いだろう。同ソフトを“武器”に躍進する弥生は、2003年4月に米国インテュイットからMBO(マネジメント・バイアウト、経営陣による企業買収)によって独立した企業だ。社長の平松庚三氏は、ソニー、アメリカン・エキスプレス、IDGジャパン、AOLといった多彩な企業のマネジメントに携わった経験を持つ。

●「会社を移って自分を磨いていくのは、世界では当たり前」と平松氏はズバリ言い切る。社員は、3年後、5年後の自分の将来像を描き、自分という「商品」の価値を高めるべきだと強調する。日本でもこうした自己実現を目指す元気な人材が育ち、風通し良く行き来できる会社を作りたいと、弥生が生まれた。

●このコラムでは、スピンオフという独立の考え方や具体的な取り組み、経緯について、スピンオフに成功した企業の社長に話を聞いてきた。今回の平松氏へのインタビューでは、さらに視線を「個人」に絞り込み、個人(社員)が独立を意識するモチベーションがどこで生まれるのか、そして独立のチャンスやきっかけを生む「人の縁」や「人と人とのつながり」について伺った。
弥生
代表取締役社長
平松庚三 氏(左)

村井勝(右)
文・写真/リーディングイノベーション、編集部
(公開日:2004年5月19日)

「スタメンになりたい!」
4番打者を目指してソニーからアメックスへ

  弥生のオフィス(東京都・中央区)
   
村井
 平松社長は、ソニーを経て外資系企業のトップを複数経験され、2003年、外資系企業のインテュイットからMBO(※)したというユニークなご経歴をお持ちです。ソニーには何年間いらっしゃったのですか?

※MBO(マネジメント・バイアウト)
 MBO(マネジメント・バイアウト:Management Buy-out)とは、企業買収の一つの形態で、経営陣がその会社の株式を親会社やオーナーなどから買い取って、独立することを指す。あるいは、企業における事業部門のマネジメント層が、同じ方法によって会社から資産を買収して独立することもMBOである。一方、マネジメント層ではなく、従業員による買収は、「EBO」(エンプロイー・バイアウト:Employee Buy-Out)と呼ばれる。

 昨今、企業経営において、「採算が合わない」「事業戦略に沿っていない」「成長が見込めない」など問題のあるグループ会社や事業を洗い出して何らかの形で対処し、トータルの企業体質を健全化する、いわゆる「経営リソースの選択と集中」を推し進めるようになってきた。しかし、これまで展開してきた事業を突然中断すれば、投資してきた設備や研究開発の成果、築き上げてきたネットワークなどを無駄にするだけでなく、その事業分野に携わってきた従業員は仕事そのものを失ったり、あるいは他の事業に移っても社員のモチベーションの低下につながりかねない。

 そこで親会社やオーナーが、子会社(事業部門も含む)のトップに対してMBOを促したり、逆に子会社の経営陣が自分たちの手で事業を盛り上げていこうと考えて、MBOに至るケースが増えてきている。MBOがうまくいけば、事業の再編に悩む親会社やオーナーにとっても、その事業を任されている子会社の経営陣や社員にとっても、双方にメリットがある。今回の弥生の場合は、米インテュイットから日本支社がMBOしたケースだ。

 ただし、一般的に“雇われ経営者”が自ら企業や事業をすべて買収するための多額の資金を調達することは難しい。このため最近では、銀行をはじめとする金融機関や証券会社が投資家の資金を集めたMBO専門の「投資ファンド」などを設立して、彼らに資金を提供するケースが増えてきた。こうしたMBO専門の投資ファンドを上手に活用することで、分離・独立後に短期間で経営改革を推し進め、株式の上場が視野に入る企業も出てきた。上場できれば、株式の売却益を得ることができ、MBOのための借入資金を返せる。

平松
 13年間おりました。ソニーを辞めてからの期間が長いのですが、今は、ソニーのOB会「SOBA」(ソニー・オールド・ボーイズ&ガールズ・アソシエーション)の代表世話人をやっていたりします。ソニーのDNAは、今もしっかり自分の中にありますね。

村井

 ソニーを辞めた理由は何だったのでしょう。

平松
 「社長になりたい」という野心があったからです(笑)。私は野球が大好きなので、野球に例えますと、常にスターティングメンバー(スタメン)として試合に出たいという気持ちが原点です。

 その頃のソニーのスタメンは、ライトがイチローで、センターが松井(秀喜)、そしてレフトがタフィー・ローズという具合で、いわゆるスーパースターがそろっていたんです。

 現在、ソニー・コンピュータエンターテインメント社長の久夛良木(健)さんであったり、現ソニー副社長の徳中(暉久)さんや、専務の真崎(晃郎)さんらですよ。私も新庄や清原あたりだったら負けるつもりはなかったのですが、この人たちは、イチロー、松井、タフィー・ローズですからねえ(笑)。

 私も生意気盛りで、自分を中心に世の中が動いていると思っていましたから、結構自信はあったんです。でも、「イチロー、松井、タフィー・ローズらを押しのけてスタメンにならなければいけないのか」というプレッシャーは、13年間ずっと感じていました。

 そこで彼らと「スタメン争い」するのを避けて、米国の「メジャーリーグ」で、つまり米国のビジネス業界に飛び込んで、自分を育ててみようと思ったわけです。1986年にアメリカン・エキスプレスに移りました。野茂投手は、最初にドジャーズに入り、メッツ、カブス、ブルワーズ、タイガース、レッドソックスと移り、またドジャーズに戻りましたよね。5年間で6球団を回ったんです。そうやって、自分を育ててきたわけですよ。私は、彼の生き方に大変共感することがありますね。

村井
 平松さんの原点は、「自分の人生は自分で設計する」という意志からスタートしているのですね。どこかに所属するというよりは、自己を基軸とした人生観でしょうか?

平松
 いえ、どこかに所属するということも、目的を成就するためのストラテジーの一つだと考えます。私の場合、当時ソニーを飛び出した時は、どうしても“スタメン”になりたかったんです。スタメンでも、時々打席に出る守備要員ではダメで、4番バッターか、ピッチャーでなければ意味がない。会社で言うと、CEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)ですね。その判断は、15年経ってみて、正しかったと思います。

平松庚三氏の歩み
1969年 渡米
1974年 ソニーコーポレーション・オブ・アメリカ
1978年 ソニー本社海外事業部、PC事業部
1986年 アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン パブリッシング・ディレクター
1992年 アイ・ディ・ジー・ジャパン 代表取締役社長
1999年 AOLジャパン社長
2000年 インテュイット 社長

弥生の沿革
1978年 日本オールシステムズ株式会社(日本マイコンの旧社名)設立
1980年 株式会社システムハウスミルキーウェイ設立
1987年 弥生シリーズの販売開始
1997年 米国インテュイット社、ミルキーウェイ、日本マイコンの統合によりインテュイット株式会社を設立
2000年 平松庚三氏が代表取締役社長に就任
2003年 米国インテュイット社より分離独立し、社名を弥生株式会社に変更

企業 PROFILE
弥生
本 社:東京都中央区明石町8番1号 聖路加タワー
設 立(事業開始日):2003年4月1日
資本金:19億9800万円
売上高:64億円(2003年7月時点)
従業員:300人
URL:http://www.yayoi-kk.co.jp/
事業内容:
中小規模法人および個人事業者に対して、主力商品である会計ソフト「弥生会計」をはじめとする業務ソフトを提供している。いずれの製品も、顧客のビジネスを側面から支援することを目標とし、先進的な情報技術を駆使して、業務の効率化に寄与するものである。
日経BP社発行のパソコン関連雑誌8誌が合同で実施している、パソコンソフトの人気投票において、「弥生会計」は8年連続で「業務処理ソフト部門」の「ベスト・ソフト」に選ばれている。
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